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  なかやすとは  

2010年にKNB北日本放送「ビタミン@富山」で
なかやす酒販が紹介されました。

【なかやす酒販は『伝える』仕事をしています。】 
なかやす酒販は日本酒とワインの専門店なのでお酒を販売しています。 
しかし、販売するよりもっと真剣に取り組んでいる『仕事』があります。

それは『伝える』ことです。 
世の中には工業製品のような大量生産された商品が沢山あります。 
それとは別に少量かもしれませんが本物と言われる良い商品があります。 
なかやす酒販はその「本物」と呼ばれる商品を手間隙掛けて見つけ出し、

手間隙掛けてその商品の持つ価値や魅力を丁寧に伝え販売しています。

生産者とは出来るだけ会い、商品の良さを実際に飲んだり食べたり使ったりして確かめてから販売しています。ですので、なかやす酒販の取り扱う商品は

『安心』と『安全』と『共感』がもれなく付いてきます。 

【なかやす酒販の目指すこと】 
なかやす酒販は「無くてはならない店」を目指しています。 
本当に美味しく魅力的な商品をきちんと販売すること。 
自分がお客様だったらこんな商品が欲しいと言うものをお客様に代わって見つけ出してくるか造ってもらいます。日本酒もワインも、なかやすに行けば楽しく、納得して買い物をしていただける店でありたいと思っています。 
品質が期待以上であること、価格がコストパフォーマンスに優れていること等にも注意を払っています。当たり前のことですが、その当たり前に執着し、細部にこだわって仕事をしています。 


【なかやす酒販の日本酒】 
富山県、石川県、福井県の酒蔵を中心に、本当に美味しい日本酒を販売しています。北陸以外では、自然酒など、自社栽培による自然米から造られる酒造りを率先している酒蔵を取り揃えています。
いずれの酒蔵も、なかやす酒販と深く関わっていただいて、より良い情報や商品の確保をしています。 
酒蔵の酒造りへの情熱やロマンを聞かせてもらい、お客様に「伝えて」います。 


【なかやす酒販のワイン】 
ワインの良し悪しは大変分かりにくいものです。なかやす酒販にはワインの

プロ、専門に学習し経験を積んだ者がいますので、全員が丁寧に品質を見極めて、価格も納得できるものを選んでいます。近年、販売するワインの多くが自然派のワインになってきています。以前の自然ワインはあまり美味しくないものもありましたが、今は美味しい自然ワインが多いですね!
ヨーロッパに買い付けに出かけ現地で生産者にも会い、畑を見て、完熟したぶどうを食べて納得してワインを輸入して販売しているワインも多くあります。 

命がけで商品を造っている生産者とだけお付き合いをしているので、なかやす酒販も命がけで販売をしています。

富山・北陸の地酒

富山県の信頼の置ける厳選の酒蔵と、北陸の美味しい地酒を販売しています。

限定酒や、季節のお酒、なかやすでしか販売されていない珍しい日本酒も人気です。

お越し頂いたら、ぜひ少しお話をしましょう。

日本酒が大好きなスタッフが笑顔でお出迎えします。

オンラインショップ 
全国通信販売

全国の日本酒ファン、飲食店様向けにECサイトを開設しています。なかやすで取り扱うほぼすべての商品が気軽に365日24時間ショッピングが愉しめます。飲食店様には、送料などの特別な料金設定もあります。

オンラインショップはこちら

自然ワイン

自然ワインを中心に温度管理されたセラーで

400種類ほど販売しています。

現地まで出掛けてワインオーナーと直接会い、畑や醸造施設を見学させてもらい、一緒に食事などをしてワインを飲んで、なかやすで販売するワインが決まります。日本国内でも年間で1000種類以上を試飲します。(コロナ前)

感動のギフト

ギフトには、贈る方の「気持ち」が入ります。

私達は、お客様が先様へお送りされるギフトのお手伝いをしています。

ギフトは無料のラッピングから、写真のような豪華なラッピングもします。限定ギフトもいつでもお作りいたします。是非お気軽にご相談下さい。

記念年ワイン

特別な年のワインをお探しでしたら、ぜひご相談下さい。ワインは熟成して、さらに光り輝くものがあります。特別な時間と同じだけ息づいた熟成ワインは、開ける時、またその思い出と共に楽しむことが出来ます。

結婚記念、お誕生日、ヴァレンタイン、還暦祝いどんな場面でも記念年ワインは最高のプレゼントです。

ワイナリーツアー

なかやす酒販では、定期的にワインのツアーなどを企画しています。

国内のワイナリーや、日本酒の醸造蔵、フランスを中心とした国外ツアーも行っています。

普段の旅行ではなかなか体験できない内容もあり大変人気です。

一度ご参加下さい。最高の思い出を作りましょう。

パーティー&講習会

年間80回以上行われている、なかやすのパーティー&講習会やコンサルティング。勉強会や、特別なワインを愉しむ会、チーズやフランスの歴史などを学ぶ回も大変人気です。

その中でも特に人気のイベントといえば、不定期開催のなかやす「イベント」。ぜひ一度ご参加下さい!イベント詳細はトップページにてご確認いただけます♪

なかやす快研商品

なぜ酒屋に化粧品!?と驚く方が多いです。ですが、「手間ひまかけて見つけ出した”本物”を、手間ひまかけてお伝えしたい」という気持ちから見つけた商品だからこそ、なかやすは随分前から化粧品なども販売しています。

ココロもカラダもストレス無く快適に暮らしましょう!

 

 

本物の調味料

本当に美味しい日本酒やワインを探し求めていたら、やっぱり調味料もこだわってしまいますよね。

なかやすでは、お醤油やみりんなどもこだわった商品を販売しています。

「創業者・会長 中山安治より」

1)なぜ、社名は「なかやす酒販」なのか?

1973年に創業した時に会社の名前をどんな名称にしようかと考えました。

私の両親や先代は教員でして、家系は代々公的な仕事をすることが多かったので、商売と余り縁のない家系でした。

中山家のルーツを辿れば430年余前の戦国末期まで遡ることが出来ます。

今、自分の住んでいる赤丸という村の西側の小高い山にあった山城、浅井城と赤丸城の城主こそ中山家の祖先と言われています。今でも中山家には430年前の刀鍛冶の造った名刀(鑑定済み)が残っています。

本家は絶え、分家筋の中山家は私で8代目、初代の安平から家長の名前の最初の文字の殆どに「安」が付いていることから、昔から中山家の持ち物には「中安」の焼印が押されていました。

そんなわけで、社名は先祖に敬意を込めて「中安」にしたのですが、この「中安」という漢字の名称はあまり良い印象をしていないということで結果「なかやす」と、発展の相を持つひらがなの社名にしました。

 

2)なぜ、地酒とワインの専門店になったのか?

商売を始めて、商売とは挫折を繰り返すことなのか?と考えさせられることがすこぶる多かった。

大学は会計学を学びましたので卒業後は東京の会計事務所に就職が決まっていましたが、父はそれでは息子が田舎に戻ることがなくなると懸念したのか、高岡市の住宅地に小さな店舗を勝手に買っていました。学生結婚をし、東京都内の酒屋の嫁の実家に居候していた事が縁で、嫁の父も田舎に帰って酒屋をしろという始末。

下戸なのに泣く泣く、田舎に帰って見様見真似、徒手空拳で酒屋を始めました。

酒屋は安定した収入があると聞かされていたのですが、聞くとやるとでは大違い。友人や知人、果ては親戚にまで頼んでも、なかなか安定した取引をさせてもらえず、全く酒やビールが売れない。

3年間しゃにむに働いても結果が付いてこない。

酒屋をやめようかと思っている時、近所のおっさん2人に酒場に呼ばれて言われました「あんちゃん(私のこと)つらかろう、苦しかろう・・でも頑張れ!俺等が応援してやるから」と・・嬉しくて頑張りました。

それでも、数年頑張っても埒が明かない。又酒屋をやめようかと思っている時・・

お客様の中で小料理屋を始める方がいらして開店のお世話をしに行きました。

準備が一段落した所で、そこにいて私の仕事ぶりを見ていたある会社の社長さんが

「俺は君が気に入った。会社のお歳暮もうちで買うお酒も全部君から買ってあげたいので明日会社に来るように」と言われ、翌日その社長のもとへ出掛けました。その日から本当にたくさんのお酒を買ってくださって希望を持って頑張って働きました。

しかし、その後頑張っても頑張っても、それでも思ったほど業績が伸びません。酒屋と言うのはこんな厳しい業種なのか?と考え始めていました。

どうしようもなくなって、意気込んで別の事業を始めてみるも大失敗。

結局当時家を1軒分買えるほどの借金をこしらえてしまいました。

それからは、もう逃げ場もなく酒屋の仕事に没頭して昼夜なく働きました。

ただ、失敗をして良かったことは「弱音を吐くと同情はしてもらえるが、協力は誰もしてくれないということ。しかし、前向きに本気で仕事に取り組めば自然に協力してくださる方が出てくる」ということが分かりました。人生最大の教訓です。

ところが、少し頑張りすぎて、市内の同業から反感をかって、酒小売組合の圧力でしばらく問屋からビールの仕入れを妨害されたりしたのもいい思い出です。

 

その内に、当時まだ始まったばかりのコンビニエンスストアーに加盟することにしました。海のものとも山のものともわからない業態でしたが、もともと商売屋の息子でない気軽さもあって、「これも、時代の要請か!」と思い周囲の反対を押し切って始めました。

始めてみると、聞かされていたほどに売上も伸びず愕然としました。

実は、33歳のその時まで全く酒を飲まない下戸だったのに「やけ酒」?を覚えました。・・やけ酒が後に人生を変えることになろうとは・・

当時のサントリーのセールスマンに誘われるままに酒を覚えました。

売上の上がらないストレスで、毎日毎日酒に浸るようになりました。それまで飲まなかった分を一気に取り戻す勢いで飲みました。

そうしながらも仕事を休める状況でないので頑張り続けました。

いつの間にか努力も実り始め、お取引世帯も2000軒を超え、コンビニエンスの売上も軌道に乗り始めました。

ただ、良いことはそう長く続きません。しばらくして、酒ディスカウントの襲来です。一気に外商の売上が落ちてきました。あんなにたくさんあったのに、ビールを買っていただいていたお客様のほとんどがいなくなってしまいました。

時代の変化に順応するために「安売りの酒屋」を目指す道もあったのですが、コンビニエンスをしながら、あえて安売り時代の流れに逆らって日本酒とワインに特化する「地酒とワインの専門店」を目指し隣に新店舗を構えました。

店舗では発泡酒やチュウハイはおろかビールも販売していません。

これがまた売れない専門店でして、時期尚早なんてもんじゃない。蓄えていた資金はなくなるし、過剰投資もあって倒産しそうになって、苦しい毎日が続き、挙句の果てに「癌」を宣告されて・・「ハハハ・」と力なく笑うことしか出来なくて・・

取り敢えず、手術を受け何とか退院する頃には体内に新しいエネルギーが満ちてくるし、何か荒んだ精神に吹っ切れるものがあって、体重が20キロ余り落ちたにもかかわらず妙に「負けん気と使命感?」みたいなものが体の奥から湧き上がってきて、それから又身軽?になった身体をフル回転させてガンガン働きました。

売れない日本酒とワイン専門店にそのころ、ここでも「僕はあんたが気に入ったからワイン買ったげる!」という方が現れて・・その後本人は全く下戸で飲まないのに、毎月ペトリュスやムートンなど30万円分のワインを買ってくださいました。ワインショップの体裁がその方のおかげで保たれたかもしれません。

そんなことを通して、人は生きている内は・・生かされていると思うようになってきましたが・・グダグダ愚痴や不満を言ってないで人様のために役立つことをすれば、いつか向こうの世界から改めて『お疲れ様』と言ってお呼び来る、それまで「しっかり生きて仕事をしよう!」と思うようになったんですね。

 

3)なぜ富山の酒、北陸の酒にこだわるのか?

20年以上前のことですが、富山県酒小売酒販青年会連合会長に就任しました。その頃に、高校時代の同級生の蔵元から酒の販売に力を貸してくれと言われました。当時の酒屋の仕事は、清酒立山の2級酒(現在の本醸造酒)とビールを売ることが全てのように見えましたが、友人の蔵に言われるままその蔵のお酒を飲みました。

驚きました、美味しいのです。それからは、その蔵のお酒を売るのに奔走しました。新酒の会やらジャズとお酒を楽しむ会やらを次々打ち出し広報しました。

努力が実ってその蔵は、今では手に入れるのが困難な酒蔵になりました。

同じ時期、連合会長として富山県にある酒蔵、当時25蔵すべてに挨拶に回りました。その時、1つの蔵の蔵元からこのようなことを言われました。

「玄関から中に入るな!お前はうちの蔵の酒を飲んだことがあるのか?1本でもうちの酒を売ったことがあるのか?うちの酒を飲んだことがない小売店が偉そうにうちの敷居をまたぐな!」と・・・

挨拶に伺っただけだったのに驚きました。しかし、確かに私は当時、富山県で生産される酒をそんなにも飲んでいませんでした。

それから、すぐに富山県の酒蔵の酒を全て仕入れて来る日も来る日も飲み続けました。

図書館に行って、富山県の食と酒のことも調べました。

そうする中でいろんなことが分かり始めました。富山県の酒の魅力は深いです。

決めました!すぐに、もう一度富山県の酒蔵を取材し、蔵を紹介する冊子を作りました。

『富山県の酒を売ろう。富山県の酒の魅力を多くの人に伝える活動をしよう!』

しばらくは富山県のお酒ばかりを販売していたのですが、お隣りの石川県にも同じような魅力のある蔵がたくさんある、そして福井にも新潟にも・・

そこで、なかやす酒販は富山県を中心に北陸の地酒を売る店に変わりました。

今度は、私の方から改めて全ての蔵にお酒を販売させてくださいとお願いに上がりました。

多くの蔵も、「小売店から『売らせてください』と来たのは初めてだ。」とおっしゃるのです。以来蔵となかやす酒販の信頼関係は大変良くなりました。

 

4)なぜ、本物と思うワインしか販売しなくなったのか?

日本酒の販売に力を注ぎながら、頭の隅に「これからは、ワインの時代が来るぞ」と考え始めていました。

そこで、ワインはまず飲むしか無い!と考えて、あるインポーターに頼んで1本3000円位のワインを1度に100本買い求めました。

それを毎日飲みました。が、ワインのどこが美味しいのかさっぱり伝わってきません。それでも毎日飲みつづけました。でもわかりません。

しかし、100本飲み終えた時になにか強く感じるものがありました。

山を登る時、途中はどこを登っているのか全く見当がつかないが、頂上に登り切った時に360度パノラマのように見渡せるような爽快な達成感があります。ワインも、100本注意しながら一気に飲み終えるとワインの何かが分かる、視界が一気にバーンと広がる感じなのです。ワインが分かるという瞬間です。

以来、なかやす酒販のワインの勉強の仕方は一気に100本飲む「100本テスティング・マラソン」が基本になっています。チョッと体育会系のノリです。

それでもまだ何かが足りないと思い、大阪のサントリー・ソムリエスクールに通うことにしました。

23回コースで、交通費も込みで50万円はかかります。でもやると決めました。

通っていて、何度目かの講義中の試飲ワインを飲んでいて最大の転機が巡ってきました。体中がしびれるほど美味しい?ワインに出会ったのです。

興奮して、帰りの電車ではそのワインをモチーフにショートストーリーを書き上げるくらいの感動です。

「もういい加減なワインを販売している時間はない、本当に自分の目で、舌で納得したワインだけを売る!」ことをその時決めました。

「今までの自分の酒屋は何だったのか?」「売上や販売量を競う仕事というのは何だったのか?」自問自答などといった悠長なことはやりもせず、今までの販売量至上主義はさっさと捨てて、本当に価値のあるものを販売するという仕事をすることに決めました。

なかやす酒販が何をするべきか、なかやす酒販の存在意義が分かったのです。

決めたら動くしか無いのです。それからは、フランスをはじめとするワイナリーの産地に20回余り出かけました。造り手に会い、畑を見せてもらい、一緒に食事をしてワインを造るための哲学を聞かせてもらい、共感したワイナリーのワインをグループで輸入も始めました。

ワインはなかなか美味しい物が見つからないのですが、しびれるくらいの凄いワインも沢山沢山ある事が分かりました。

このような素晴らしいワインを高岡市内だけでなく富山県内のレストランの皆さんにお届けしたいと意気込んで営業に出かけましたが、ここでも大きな壁がありました。

なかなかコチラの思いが通じないのです。品質と価格の折り合いがつかない。

その時に、息子が友人とフレンチ・レストランをやりたいと申し出てきました。

私も、まず自分でレストランを経営し、そこで自分の納得するワインを提供してその様子を今のレストランのオーナーにお知らせすることで、なかやす酒販の方針を理解していただこうとしたのですが・・・

そんな思惑と期待の前に、少しあったワインのお取引先が、オープンを境にガクンと減ってしまいました。

 

5)なぜ、今のなかやす酒販のスタイル、アイデンティティがあるのか?

我々は以前、「日本酒やワインは、より安い価格で販売されるものだ」「お客さまにとって、より便利に手間もかけずに買えなければならない」等と思っていました。が、少し違っていました。少なくとも、これからのなかやす酒販にとってはこのことが全てでなく、それ以外に、「なかやす酒販だけのやるべきこと」があるということが分かりました。

350ミリのアルコール飲料が、180ミリの缶コーヒーよりも安い!そんなにアルコール飲料の価値は低いのか?

酒蔵もワイナリーもより自然で美味しく価値のある日本酒やワインを造ろうとしている人たちは、ほぼ命を掛けて造っています。

そうして作られた日本酒やワインには崇高な価値があります。

工業製品にはない価値があります。わたしは、手作りのものだけが価値があると思っているのではないのですが、一定程度手作りにはそれ相応の価値があると思っています。

そうして作られる価値ある酒類を、私達なかやす酒販は命がけで販売していくことに決めたのです。

時代はどんどん変わっていき商習慣もシステムも大きく変化しています。

特に、テクノロジーの進化は著しいものがあります。

酒類の販売や情報の拡散などはテクノロジーに依存せずにはもう前に一歩も進まなくなってきています。

なかやす酒販も日々テクノロジーの広範な利用についても研究をしています。

平成11年には、今までのネットを強化して、「北陸の酒.com」を開店しました。なかやす酒販の販売の柱になるよう育てていかねばなりません。

そういった、なかやす酒販の方針やスタンスに共鳴して下さるお客様が次第に増えてきていることによって、もう将来の不安はほぼなくなりました。

 

6)なぜ、なかやす酒販の社員は笑顔で仕事をしているのか?

お金が沢山あったら幸せか?そりゃあ、無いより幸せでしょうね。地位が高いと幸せか?そりゃあ、低いよりいいですよね。

わたしは、お金がたくさんあれば嬉しいのですが、毎日「笑顔で暮らす」ことができることと持っているお金の多寡はあまり関係ないように思います。

「笑顔」でいられるのに一番大切なのは「希望」だと思っています。

お金がなくても地位が高くなくても「希望」があれば笑顔になれると思っているのです。

人生の中で、苦しいことや悲しいことがないことのほうがおかしい。どんな状況に置かれても希望さえあれば『笑顔』でいられるのです。

そのためには、人の役に立つ行いをすることやなるべくなら嘘をつかないことなどを守ればいいことです。笑顔でいれば、周りが上手く回っていくことにもなります。

 

「莫妄想」・・過ぎたことはやり直すことは出来ないのだからクヨクヨしない、これから起こることも予測できないので悩まない。今やるべきことを真剣に取り組めば良い。

 

また、感謝する気持ちを持っていれば笑顔になります。

「ありがとう」を1日20回言う運動をしています。なので、なかやす酒販は「ありがとう教」なのかと言われたりもします。

これらのことを前提に、仕事に「情熱」を持ってしっかり取り組むことが笑顔を作る元にもなります。

かつて私は富山県ラグビーフットボール協会の会長を引き受けました。その時の協会は私の目には資金もなく組織が硬直しているように見えました。

立て直すのには6年はかかるかなと思いました。それから周りからどんな批判が出ようと、自分の信じる方向へ組織を建てなおすのに情熱を燃やしました。

思ったより早く4年で、私の考える安定した組織が出来上がりました。そこで、役目を終えたので会長を降りました。この時ほど「情熱は伝播する」というのを身にしみて感じたことはありません。

情熱は確実に伝播するのです。

そのような、なかやす酒販のスタイルに共感してくれた社員だけが今働いています。

これからも、笑顔でゴマカシのない心地良い商い、ディティールにこだわった丁寧な商いを続けたいと思っています。

なかやす酒販は「いつもにこにこ元気」です。

 

7)なぜ、なかやす酒販に数字の9が多用されているのか?

日本人の多くは、「4」「9」という数字を嫌う傾向にあります。よくよく聞けば、「4」は死ぬに通じるということ、「9」は苦しむということ・・らしいです。

日本語の語呂合わせみたいで、つまらないダジャレにもならないレベルのことだと思っています。そういう、キリスト教の人たちは「6」「13」がダメだと聞きました。勿論、宗教的な側面からのことなのでしょうね。

それはそれとして、私には生まれつき「9」に縁がありました。何故か分かりませんが、そんな訳で「9」が好きです。苦しむという語呂合わせも関係ありませんし、苦しみなんて無いほうがおかしい、もしそうなら苦しみと上手く付き合えばいいんですから。

電話は9000、FAXは9009。会社の経営方針は9箇条。なかやす酒販の「なぜ?」も9個。

後はこじつけみたいなところもあります。で、「9」の数字について調べてみました。

「9」は、どの数字よりも幸運を呼ぶ数字。安定して永きにわたって幸運を呼ぶ数字だそうです。最後の数字なのでステップアップのできる数字だとも・・色んな意味が隠された「9」という数字ですが、苦しむなどという訳の分からないネガティブな意味は全くありません。

他に、「9」は南に縁のある数字・・私が南方を好きなのと縁があるかな?水を表す「1」と合わさるととても良い組み合わせになるとか・・私の庶民文芸の前句号は「水心堂天笑」?「9」の次に好きな「4」と合わさると、永続的な富を呼ぶそうです・・この件については、いまのところ???

そんなわけで、なかやす酒販は「9」をこれからも大切に使っていきます。

 

8)なぜ、「願い道駅伝」などの高岡市の企画に真剣に参加するの?

「おかげさま!」という気持ちがあります。長く商いをさせてもらっていて、お客様あっての商いですから、私達の気持ちに少しは「恩返し」というか、なにか地域にお返ししたいという気持ちがあります。

「願い道駅伝」は、後輩たちの企画でしたから応援の気持ちもあって参加しています。ただ、せっかく参加するなら、より盛りあげようと思って「仮装」賞を狙うことを決めて参加しています。おかげで努力の甲斐あって第1回と第2回の大会は「仮装賞」を頂きました。

高岡古城公園が国の指定文化財になったことを受けて「高岡古城公園100年会議」という組織を作り、桜の植樹を通して魅力的な公園になるよう協力していくつもりです。

又、私個人の趣味の一つにジャズがあって、27年の秋には高岡古城公園の7万坪の敷地の中で数カ所ステージを作り野外ジャズコンサートを主催します。

そんな活動を通して、高岡市の活性化に少しでも寄与したいと考えています。

チョットだけの「恩返し」を、手遅れになる前に出来ることから始めたい。

 

9)なぜ、なかやす酒販はお客様が増えているの?(増えているんです)

心からホッとする、穏やかで飲んだ者を癒やしてくれる日本酒、食事の時間を極上の楽しい時間にしてくれるバランスの良いワイン、時には飲む人をしびれさせてくれる感動のワイン。そんな素晴らしい飲み物の価値と魅力を知ってしまった私達、なかやす酒販のメンバーはその魅力を伝えることを販売よりも重要に思って、位置づけて仕事をしています。

私自身も、日本酒やワインの魅力や楽しみ方を啓蒙する講習会や講演会などを20数年前からもう既に900回近くこなしています。

今では、社員たちも手分けしてこのような活動を担ってくれるようになりました。

私たちは、美味しい日本酒やワインの魅力を伝える『伝道師』の役割を担っているつもりです。ひとりでも多くの人にそれらの魅力を伝えたいと思って講演会だけでなく店頭にも立っています。

そんなことを知ってて、あるいは期待してお買い物をしてくださる方が増えています。コンサルティングサービスと言えるのでしょうか。

日本酒やワインの情報がほしい業務店の方々を始め知識や情報に興味を持った愛好家の皆さんも次第に増えてきています。

又、多いのが日本酒やワインのギフトの相談も多くなりました。ギフトの目的や予算をお聞きし、全てに満足していただけるまで一緒に話し合います。

口コミで又もお客様が増えてきました。やはり、自分たちを気に入って来て下さることほど嬉しいこと、商売冥利につきることはありません。必然的に、又しっかりやろうと思うようになってきました。そうですね、期待に必ずお応えできるように今日も社員一同研鑽を積んでいます。

 

 

 

という訳で・・・

・「不味い日本酒やワインを飲んでる暇はない!」

・「不味い酒を呑むと愚痴が出る、旨い酒を飲むと歌が出る!アイディアも出る!」

・笑顔でいなさい。「笑う門に、福来る」

・愚痴を言うな、不満を言うな、頑張れ!「神様が観ているぞ!」
 

 

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